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vol.150 ヴァイオリニスト 篠崎史紀

ワルツ 「ふつうに弾く」ことの意味

ヴァイオリニスト 篠崎史紀
ウィーンのワルツや共演したマエストロについて語る篠崎史紀 ©藤本崇

 クリスマスから新年へ──。ヴァイオリニスト、篠崎史紀は、NHK交響楽団を中心とするオーケストラの活動や弾き振りで、第九や《くるみ割り人形》全曲、ウィンナーワルツなど多様な曲を演奏してきた。ウィーンの留学時代にも遡り、ウィンナーワルツの秘密や音楽体験を語ってもらった。

藤盛一朗◎本誌編集


──クリスマスの音楽といえば?

 留学してウィーンで8年間を過ごしました。カトリック色が強く、クリスマス前のアドベントの時期には、シューベルトのミサ曲などが盛んに演奏されました。教会の中で音楽が天から降ってくるように感じたものです。

教会も演奏の場

──演奏もしましたか?

 いろんな教会に行きました。アヴェ・マリアなんて400曲以上あり、それ専門の楽譜がありました。クリスマスに限らず、モーツァルトの《レクイエム》やハイドンの《天地創造》を演奏しました。(モーツァルトゆかりの)シュテファン大聖堂で《レクイエム》を弾いたのは、時空を飛び超えた特別な体験となりました。ウィーンは、たくさんの作曲者がそこを目指し、創作の拠点とした街です。国立歌劇場、楽友協会、コンツェルトハウス、フォルクスオーパー…。それに加え、大小さまざまな教会があるのです。バッハはあまり演奏されません。プロテスタントですから。

──ブルックナーの《アヴェ・マリア》なども日常的に演奏されるそうですね。

 ブルックナーなら、(リンツ郊外の)ザンクト・フローリアン修道院でも学生時代、演奏しましたよ。交響曲です。7番はコンマスを務めました。4番、8番、5番もやったな。本当にすてきでした。向こうでは、トレモロはゆっくり弾けと言われる。豊かな音響の中で、自然に響く。日本に戻って、響かないホールで4番を演奏した時、あまりの落差に驚きました。パサパサにしかならなかった。
 向こうではクリスマスの休暇が終わると、ふつうの生活に戻り、国立歌劇場では《こうもり》が始まり、そしてニューイヤーです。

内面に潜む感情や哀愁を含む

──ウィーンのワルツとは、あらためてどのようなものでしょうか。

 哀愁を含んでいます。《美しく青きドナウ》だって、ただ楽しいだけなら残らなかった。《ウィーン気質》にも内面に潜む感情が存在します。ハプスブルク家は政略結婚を進めました。望まないところにも行かされた。本当の自分にかえり、かなわないことを打破するためにくっついて踊る。
 日本では三拍子をまっすぐ正確に、と教えられますが、ウィーンでは「まっすぐ弾く必要はない」と言われます。

──ワルツは、ウィーン人しか演奏できないという言われ方があります。

 ウィーン人は、「ふつうに演奏すればいい」と言います。例えば、お吸い物をいただく時に日本ではどうするか。蓋を取り、手にもってすすります。それが「ふつう」ということ。自分たちの中で常識となっていること。それがウィーンの三拍子です。
 外国人はお吸い物のお椀をテーブルに置いたまま、スプーンを使うかもしれません。だからベルリンでも、パリでも、イタリアでも、ウィンナー・ワルツを演奏すると変な感じになるのです。ふつうでなく、作られたものになってしまいます。
 Walzer(ヴァルツァー)という言葉に、ウィーン人は誇りと威厳を持っています。私は知らない間に、ワルツの感覚を刷り込まれました。

──篠崎さんは近年、ウィーン伝統の弾き振りの形でワルツを演奏するニューイヤーコンサートに出演しています。

 (ウィーン・フィルコンサートマスターの)ボスコフスキーの姿に、子どものころ感動しました。そしてウィーンには、(弾き振りの)ヨハン・シュトラウスⅡ世の銅像がありますよね。

──クリスマスの音楽に戻りますが、チャイコフスキーの《くるみ割り人形》の話もぜひお聞きしたいテーマです。日本では組曲が有名ですが、篠崎さんはロシアの名匠、フェドセーエフ指揮で全曲を弾いています。

 映画の予告編と本編のようなものです。予告編がいかによくできていたとしても、本編は本編です。本編を見なければ分からないことがある。凄いのは(「花のワルツ」の後の)パドゥドゥの音楽。ドシラソファミレド…。これだけで人を感動させる。こんな音楽が書けるのはチャイコフスキーだけです。ドキドキ、わくわくの音楽です。

──フェドセーエフさんは、10歳の時、独ソ戦のさなかで《くるみ割り人形》の音楽に出合った話を篠崎さんにしています。

 その時に音楽を志す覚悟を決めた。その覚悟を決めたものが、目の前で指揮をしているフェドセーエフさんの中に見えたように感じたのです。正しい音やリズムというより、その人の人生すべてが音楽に現れるということを間近で体験した演奏会の一つでした(2018年12月12、13日のN響定期演奏会)。フェドセーエフの《くるみ割り人形》に感じたのは、人生のすべてを注ぎ込んでいるということでした。2022年のブロムシュテットのマーラーの9番の時にも同じ思いがしました。

マゼールの第九
クリムトの自由な絵画

──ベートーヴェンの第九では、どんな指揮者が印象に残っているでしょう?

 どれも印象ある。難しいね…。今思えば、マゼールかな(2010年12月31日、岩城宏之メモリアル・オーケストラのベートーヴェン全交響曲連続演奏会)。ティンパニにペダルを使って七つの音を渡したり、弦には特別難しいフィンガリングを指示したり、管は増やしたり…。ぶっ飛んでいた。ただ、そのベートーヴェン像は正しい。そういう可能性を持っているのが第九ではないかと思いました。
 ウィーンにクリムトが第九を描いた作品があります(「ベートーヴェン・フリーズ」)。あの絵を見て、楽譜通りにきちっとという演奏も大事だけれど、こういう想像ができることも大事なんだということを思いました。びっくりしたが、感動もした。
 そして思ったのは、ベートーヴェン自身がとてつもないことをやったということ。合唱が入っているのも変。第4楽章で第1、第2、第3楽章のモチーフを繰り返し、否定するけれどどれもが美しい。これってクリムトと同じではないのかな、と。初演時に、ホールの事情なんか考えずに合唱の大人数を要求したり。第九にはワーグナーやマーラー版もあります。ベートーヴェン自身が、マゼールのを聴いて、「うん、これもいいな」と言うかもしれないと思いました。

──N響のコンサートマスターとして最後の第九演奏となるルイージとの共演への期待は?

 ルイージはN響も、N響と相性のよかったサヴァリッシュもリスペクトしている人です。今はとても良い関係にある。彼はカペルマイスター(歌劇場の楽長)。「歌」というものにどうアプローチするかが楽しみです。N響に今まで足りなかったのは、「歌」という流れを用いたアプローチ。N響はイタリア・オペラなんかが実は苦手です。ぎくしゃくしてしまう。でも、音楽にその「流れ」は必要です。サヴァリッシュもシュタインも伝えてくれなかったこと。ルイージは、それをN響にもたらしてくれています。


Shinozaki Fuminori

 北九州市出身。NHK交響楽団特別コンサートマスター及び九州交響楽団ミュージックアドバイザー及び福山リーデンローズ音楽大使。愛称 "まろ"。3歳より父篠崎永育、母美樹の手ほどきを受け、1981年ウィーン市立音楽院に入学。翌年コンツェルト・ハウスでコンサート・デビューを飾る。88年帰国後、群馬交響楽団、読売日本交響楽団のコンサートマスターを経て、97年NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。以来 "N響の顔"として活躍し、N響特別コンサートマスターとしての活動は2025年3月に終える。